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横浜地方裁判所小田原支部 昭和54年(ワ)43号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三、八一五万九、六六七円及びこれに対する昭和五二年二月四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和五二年三月まで湯河原町立湯河原小学校に在籍し、その後同年四月以降同町立湯河原中学校に在籍しており、被告は右各学校の設置者であり、右学校の職員は、いずれも被告の公務員である。

2  事故の発生

原告は、前記湯河原小学校六年四組在籍中である昭和五二年二月三日第二校時(午前九時五〇分から同一〇時三〇分まで)の体育の時間に、同校校庭において、担任の訴外板倉朋文教諭(以下、板倉教諭という。)の指導監督のもとにサツカーの試合中、顔面右眼部にサツカーボールの強打を受け、その場に転倒した。そして原告の右眼は、右サツカーボールの強打によつて外傷性網膜剥離を起し、約一カ月後には完全に失明するに至つた(以下、これを本件事故という。)。

3  責任原因

(一) 板倉教諭の過失

(1) 教師の保護者に対する報告義務

学校は発達成長過程にある子供たちを集団的に取扱う場であること、その中で子供の自主的活動を保障していくことが教育の要請であること、及び教育活動自体が子供の可能性を発見し、全面的発達を促すという創造性をその本来の性格としていることなどから、学校における教育活動には、本質的に子供の生命や健康に対する危険性が避けがたく内在しており、そのために学校における教育に携わる教師は、子供の安全を確保しつつ教育の目的を達成するために、子供の生命、健康について万全を期すべき高度の安全保持義務を負つているといわなければならない。この安全保持義務は、親義務の代行としての責任無能力者に対する代理監督責任(民法七一四条二項)並びに教育をつかさどる教師の教育専門職としての教育責任(学校教育法二八条、四〇条、五一条等)を法的根拠としている。

そして、右安全保持義務の内容の一つとして保護者に対する事故の報告義務があげられる。すなわち、教育活動に関連して子供に何らかの事故が発生した場合、教師としては、一方で事態を正確に把握し、適切な事後措置をとることはもちろんであるが、他方で子供の保護者に対し、保護者においても適切な安全保持の措置をとりうるよう必要な情報を伝え報告しなければならない。なぜならば、学校における教師の安全保持義務は、子供の学校外の一般生活関係における保護者の安全保持義務に十分に引継がれ、両者が協力してこそ、子供の安全保持は完全となるからであり、特に被害が外観上未だ発生していない場合には、教師からの報告は保護者が十分に経過を観察し、被害が生じた際にそれに即応する処置を可能にするからである。

したがつて、事故が発生し被害現象が生じていない場合であつても、病状が予見できるようなときは、単なる事故の報告にとどまらず、そのような症状の発生を防止するための方策についてまで助言する義務があるというべきであり、病状の予見まではできなくても何らかの危険が予見できるときは、もしもの場合親において適切な処置をとりうるよう進言すべきである。また、どのような危険が発生するか予見できないような場合であつても、少くとも事故の内容について報告し、保護者における経過観察を可能とさせなければならない。

(2) 板倉教諭の報告義務違反の過失

本件事故が発生した際に板倉教諭は、試合が中断した機会に、原告から約四ないし五メートルの距離のところにきて、「大丈夫か、保健室に行つたらどうか。」と声をかけたのみであつて、板倉教諭の認識しえた範囲内であつても、何らかの危険の発生は十分予見し得るにもかかわらず保護者に対する報告を怠つており、仮に被害の発生が予見できないとしても本件事故の発生を知つた以上保護者に対する報告義務は免れないところ、これを怠つている。

(二) 湯河原中学校職員の過失

(1) 健康診断の結果に基づき適切な措置をとるべき義務

学校保健法第六条は、学校における毎学年定期の健康診断の実施を定め、同法七条及び同法施行規則七条は、学校に対して健康診断の結果を基礎に適切な措置をとるべき義務を課している。

(2) 湯河原中学校職員の右義務の懈怠

原告は、昭和五二年四月八日湯河原中学校で定期健康診断を受けた際、視力検査において検査担当者に対して「右目はぼけていて見えないから測らなくてもいい」旨を申立てたところ、右担当者は右眼の視力検査を行わなかつたばかりでなく、必要な検査あるいは医療を受けるよう指示することもせず、保護者に右結果を通知することもしなかつた。

また、同校においては、検査結果を生徒が各自所定の用紙に記入し、それを検査終了後担任に提出する方法で結果の処理がされているところ、原告は所定の用紙に右眼〇と記入しており、当時の担任がこれを故意又は過失により看過し、保護者への連絡を怠つている。

(三) 前記(一)、(二)の各過失と本件事故の結果の回避可能性網膜剥離は、手術は早いほどよく、一般的に剥離が起きて早期(三日ないし一週間)に治療するならば完全に治癒するものであるが、本件の場合は昭和五二年のうちであれば治癒が可能であつたと推測され、右(一)、(二)掲記の過失がなく、保護者たる母親において事故又は、視力障害の報告を受けていれば、これに対する適切な処置をとることにより失明の結果を回避することができた。

4  損 害

(一) 原告は、以上のとおり右眼を失明し、これは回復不能である。

(二) 原告の右損害を金銭的に評価するならば、その損害額は合計金三、八一五万九、六六七円となり、その内訳は次のとおりである。

(1) 一眼失明による逸失利益 金三、二一一万九、五八八円

イ 昭和五五年賃金センサス第一表産業計、企業規模計学歴計による男子平均年収額 金三四〇万八、八〇〇円

ロ 一八才以降六七才まで就労した場合の新ホフマン係数 二〇・九三九

ハ 一眼失明の労働能力喪失率              〇・四五

3,408,800(円)×20.939×0.45=32,119,588(円)

(2) 慰謝料         金二三六万〇、〇〇〇円

障害等級第八級の自賠責支払基準による。

(3) 治療費          金一〇万五、〇七九円

イ 湯河原病院           金一、〇〇〇円

ロ 国立熱海病院          金一、〇〇〇円

ハ 聖路加病院           金四、〇〇〇円

ニ 北里大学病院          金四、一四八円

ホ 自治医科大学病院      金九万四、九三一円

(4) 交通費          金一〇万五、九四〇円

聖路加、北里大学、自治医大関係

(5) 弁護士費用       金三四六万九、〇六〇円

右(1)ないし(4)の合計額の一〇パーセント

5  被告は、原告に対し、前記第3項記載の各公務員の行為につき、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うものである。

6  よつて、原告は被告に対し、右眼失明による損害金三、八一五万九、六六七円及びこれに対する本件傷害事故の翌日である昭和五二年二月四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、冒頭より、「サツカーボールの強打を受け」までの部分は認めるが、その余の事実は否認する。

3  同3(一)(1)のうち、一般に教師の生徒に対する安全保持義務の一内容として保護者に通知連絡の義務があることは認めるが、その範囲は教育の場において発生した事態のうちで児童生徒の健康に関する異変を通常予見し又は予見可能性のある事態に限られる。

同3(一)(2)の事実のうち、「大丈夫か、保健室に行つたらどうか」と声をかけたことは認め、その余の事実を否認する。

同3(二)(1)は認める。

同3(二)(2)の事実のうち、原告が昭和五二年四月八日湯河原中学校で定期健康診断を受けたことは認め、その余の事実は否認する。

同3(三)の事実は否認する。

4  同4(一)の事実は不知。

同4(二)の事実は否認する。特に逸失利益の計算方法中、中間利息の控除は一二才の新ライプニツツ係数一三・五五八によつて計算するのが相当であり、労働能力喪失率については、原告は若年であり就労可能年齢である一八才に達するまでに右眼視力障害を克服してできるだけそれが支障とならない職業を選択し得る余地が残されており、原告主張の四五パーセントの喪失率は相当性がない。

5  同5は争う。

6  被告の主張

(一) 板倉教諭のとつた措置について

板倉教諭は、本件事故に際し、サツカーボールが原告の顔面に当り、原告がその場にしやがみ込んだのを認めたので、すぐに試合を中断して原告の傍へ行き、その顔面を注意深く診たが、腫れや出血はなく、眼部にも異常が認められなかつた。しかし、板倉教諭は、念のため原告に対し、保健室で養護教諭に診てもらうように促したところ、原告は元気そうな声で「痛みも薄らいだので試合を続けることができる」旨答え、その後もサツカーの試合に参加した。そして板倉教諭は、サツカーの試合終了後も原告に対し「大丈夫か」と聞いたところ、原告は何ら異常を訴えることなく平素と変りない言動であつた。尚、仮に本件事故により原告に外傷性網膜剥離の結果が生じたとしても、外傷性網膜剥離は、一般に外傷を受けてすぐ発生する病気ではなく、人によつては一年後に発生するケースもあるくらいで、しかも痛みもなく外観上何の異常もみられないから、患者本人が眼に異常が発生したことを他に告知することが発見のきつかけになるものであり、また、本件のサツカーの試合では正式のサツカーボールではなく、ゴムボールを使用していたが、この外傷性網膜剥離は硬いボールよりも軟かいボールが眼に当つた場合の方が発病の危険性が大きいものであるが、この点は専門医以外には知り得ないことであつて、以上のことから本件事故の際に一般人が外傷性網膜剥離の危険を予測することはできない。さらに本件事故の際に頭部内出血等の危険を予見することもできない。

従つて本件程度の事故においては保護者に対する報告義務はなく、板倉教諭のとつた措置に欠けるところはない。

(二) 湯河原中学校職員の過失について

健康診断の結果は、学級担任の指導で個票に記載された測定値を生徒各自が自分の健康手帳に転記し、この健康手帳をもつて家庭連絡に代えている。また視力は生徒本人が最もよく自覚できるものであり、自己の視力についての関心も高いことから、前記の健康手帳に「裸眼視力が〇・九以下のものは精密検査を受けましよう。」という記載があるほかには特に検査を受けるよう勧告書等は出していないが、これで欠けるところはない。

さらに、原告は視力検査の際に検査担当者が右眼視力がないことをはつきりと認識できるようには言つておらず、前記の外傷性網膜剥離の性質上、これを予測して適切な処置をとることは不可能であつた。

三  被告の主張に対する認否

前記二6記載の事実は否認する。

四  仮定抗弁(過失相殺)

仮に、被告に本件事故の結果について責任が認められるとしても、

1  原告が網膜剥離により右眼失明するに至つたのは治療が手遅れだつたからであるが、治療が遅れた原因は、何よりも原告が右眼視力障害が発生し始めた頃に母親又は担任教諭等にその旨告げるべきであつたのに、誰にも告げなかつたことによる。

2  また、原告の母親は原告と日常生活をともにし、最も原告の病気等身体異常を発見しやすい立場にあり、親権者として原告の健康状態や原告が何を考えて行動しているか等生活全般にわたり注意を払つて養育する義務があるところ、母親はこの注意を十分払わないため原告の視力障害に全く気づかず治療が手遅れになつてしまつた。

3  よつて、原告が失明するに至つた結果につき原告ないし原告の母親にも過失がある。

五  仮定抗弁に対する認否

仮定抗弁事実はいずれも否認する。

第三  証拠(省略)

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